施設設置会社代表インタビュー

施設設置会社代表インタビュー

奨農土地株式会社 代表 原 浩之さん(以下、原さん)
要は、これはもう、お恥ずかしながら、俺の中で、一応、漠然としたものはあったけど、やっぱり、ビジョンがないといけんよっていう話になって、色々、まあ、俺って一体なんでこんな、こんなことをしたんだろうかっていうことを自分で紐解いていったわけ で、やっぱり、結論から言うと、高梁川流域を1つにしていきたい

最終的には、高梁川流域DMCっていうのを作って 1つにしたいっていう思いがあってログイン倉敷に関しても、ログイン総社とかをいっぱい作って、それぞれの点が1つ、線になって、高橋川流域を1つに、それも倉敷を拠点にという思いがあるなっていうのを、自分の中で発見した。で、それをするための、1発目として、自分の住んでる、この倉敷から、それをやっていきたいという思いが、俺の中での、あの、ビジョンとして、あったんだ。

そこには、さっき言った、高梁川DMC的なものを作るっていうのも、あるんだけど、また、1つにしようと思ったきっかけは何って思った時に、まず、1つは、1952年の、大原総一郎さんが、高梁川流域連盟っていうのを、作っていたし、1つにしようやという風なことだっていうんで、なるほどな、さすがそういう風なこと思われるんだって思って、絶対それって大事よなと、思ったわけです。

大正14年に、大原孫三郎さんが、その時、国鉄がおって、山陰にあげるのどうするかって、岡山から吉備線使う方法と、庭瀬から上げていく法法と、倉敷と3つあった時に、わざわざ、大原孫三郎さんが国鉄総裁のとこまで行って、
で、なんとか倉敷からあげてくれとか言っていた。倉敷からじゃないと、山陰上がれんのんじゃけっていうね。なるほどなと、大原孫三郎さんも、そんな風にして、倉敷を拠点にしてくれたんだ。 と

その息子さんの総一郎さんも、倉敷を中心に流域を1つにしようやって思ってくれたっていう先人の思いプラス、遡ること、江戸時代は、この倉敷っていうのは、物資の集積地であって、それは幕府の天領という風な形でね、してくれて、天領となったのは、そこは集積地だったからだと思うんだけど、その集積地としての、この倉敷っていうところは、江戸時代からも、やっぱ、この倉敷って拠点になり得る場所であったと。
そういう3つの理由から、俺はやっぱりこの倉敷のあるべき姿を、やっぱもういっぺん出さないけんな。

今、行政も結構色々頑張っていたし、流域協議会とか、色々頑張ってやってくれてるけど、やっぱり所詮、彼らも お役所仕事でやってるし、これはやっぱ民間の力でそれをやっていくことに、その人たちが乗っかってくれりゃええなって思ってる。

実は6年前に、なんか思っとってんで、わしが自分で知ったわけじゃなくて、あの倉敷文化っていうのをやってるやつには、ちらっと言っとったんよ。わし、言うとるわと思って、いや、確かに、あの路地市場っていうのも、まあ、いろんな人とかいるとか来てて、そこはアンテナショップみたいにできたら面白れえなと思ってたら、せっかく倉敷なんじゃけんとか思ったけど
でも、その思いは実現できんかったし、今度新たなちゃんとした設備を作ることってより、もっとそれが具体化できるなっていう思いは、非常にある。

じゃあ、なんでインバウンド ていう話をね、結構言ってるのか
インバウンド特化する言うて、ちょっととんがった言い方をしてるんだけど、これには理由が、2つあって、

1つ目は、俺がコロナ前に見た岡山県にくる外国人の、旅行の動向調査を見た時にさ、 岡山で外国人が行くとこったら、岡山後楽園、岡山城、そして美観地区、直島。って、これ、岡山じゃねえけどな。で、あと、全然どこも行ってねえよ。もったいねえ、高梁川流域とか言うとるの、誰も外国の人いかんじゃんみたいな、これはいけんなと、倉敷に人がどんどんどんどん来てくれるの嬉しいけど、やっぱ、そっからどんどん、どんどん集客していかんといけんよなっていう思いがそこで芽生えたかな。俺はやっぱりそういう意味では、そうやってどんどんやっていく1つの拠点を作っとかんといけんなっていうのが、まあ1つ。

それからもう1つは、そこでインバウンドということをするということによって、例えば今コンベンションビュールとかあるけど、そこは、どっちか言ったら、全体バクっとした旅行、うちは海外の人しかせんけんっていうだけで、差別化できるかということで、あえてインバウンドということを、皆さんにアピールしてやっていこうかなという風に思います。

一般社団法人高梁川プレゼンターレ 代表理事 坂ノ上 博史さん(以下、坂ノ上さん):
一般的には、土地が良ければいいという人たちがいて、なぜその高梁川流域に客を送らなきゃいけないのか。倉敷に来てればそれでいいじゃんってことにはならないんですか。

原さん
俺は、大原さんがやっぱり高梁川流域連盟っていうのを作ったし、7市3町でみんなでやっていこうやって言って、提唱したものの、それがうまく実行できてないと、やっぱ大原さんに申し訳ないなって思う。
しかも、また、その伯備線をしっかり孫三郎さんが、お父さんがあげてくれてる、つまり作ってくれとるわけだから。そういう意味で、やっぱりこう先人のそういうのをやっぱり実現させてあげたいなって。

ていうのはな、まあ、あの、もうちょっと紐とくと、うちの家と、大原さんは親戚関係になって、親戚関係がもう上の方ではあって、うちの家訓的なもので言うと、まず倉敷をしっかり守りなさい、 原を守りなさい、そして最後に大原を支えなさいっていう、そういう風なことを言われて、それは俺の中にもずっと染み込んどるし、大原家がなんかあったら、なんかせにゃいけんっていう思いはあって、そういう中での、大原さんが色々やってくれたことっていうのを、しっかりとこう、全部できるかわからんけど、とりあえずなんかそれを実現させていきたいっていう思いはある。

坂ノ上さん:
6年前に、初めて、その頃から思い始めて、実際に旅行会社を作ったり、今回新しく作る、LOGINで、結構この数年流域を回られてると思うんですけれども、実際にあちこち移動して人と会っていかがですか。

原さん
7市3町回ったよ。もうインバウンドの予算に関しては、どの自治体も取ってねえ。びっくりするぐらい。たまたま言ったとしても、ほんとそんなたくさんの人数は言ってねえじゃろうなって思ったし、それこそ、やっぱ民間の力で、例えば総社のツアーをボンボン出してあげて、ここまでしてくれるんやったら、もう自転車整備せにゃいけん。もうちょっと自転車サイクリングコースを整備せないけんとかいう予算とかも出てくるやろうし、 俺、1番初めに作ってみてえのは、総社にログイン的なものを作りたい。色々こう、そういうところもどっかに作って、倉敷から行けるようなのが作りやすいかなと思っています。

坂ノ上さん:
見るべきものは、7市3町にありますか。

原さん
あるじゃろう。尋ねるべきものもいっぱいある。新見とかだったら、いくら丼から何からあるし、高梁の方は天空の城もあるし、総社行ったら、そういうお寺もあるし、井原行ったら、デニムもあるし。矢掛だって、今、市で頑張ってやってるし、里庄は藤井風がおるし、浅口は天文台もあるし、早島はキャンプ場頑張っとるし、駅前なんか色々、ちょっと場所作ったりとかして頑張っとるけど、

あそこも、外国人を持っていくとかはできるかな。
例えば、キャンプ場で、なんか外国人が宿泊するとか、まだ可能性は全部秘めとんだけど、みんなそこにまで手が回らんですわって言っていうのが、みんなそんな感じじゃった。だから、それは多分行政の人にやれやれって無理な話で、やっぱりなんか民間がうちでこんなツアー考えたんだけどどうですかって、じゃあぜひぜひって多分言ってくれると思うし、それで今後これやりますわって予算組んでくんじゃねえかなみたいな、
それがなんか倉敷含めた流域がまず盛り上がっていく要因になってこんかなって思います。

坂ノ上さん:
ありがとうございます。今回のこの施設では、どんな雰囲気で、どんなことができるのか。

原さん
もうLOGINを1つのたまり場にはしたい。外国の人はなんかあった時にあっこに行ったらなんとかなるわっていう風な場所にしたいよね。で、まあまあ、そこにはwi-fiも設置して、そこ行ったら、例えば、海外の人とも色々繋がれるようなものもあったりとか、なんか困ったな、どうしようかな言った時に、「May I help you」って言われた時に、実はこんなことがあってさ、とかっていう場所にして、一応、英語の接客をするようにと、みんなに知れだしているけど、どうしようかなって。

幸いなことに今ね、集まってるメンバーが若いんよ。30代、40代のやつらで、俺からしたら、20ぐらい離れてるやらなんやけど、そいつらが結構楽しいんよな、そいつらの話しって。俺もだから、彼らの知恵をもらいながら色々やっていったら、またそっから、色々と膨らんでいくかなっていう気がすげえして。

坂ノ上さん:
原さんなりに、今、出店されようとしている人たちの魅力を全体像なのか個別なのか、色々あると思うんですが、ちょっとご紹介ください。

原さん
前提として、新しくできるLOGIN倉敷っていうのは、初めてのパターンだと思うので、家賃の形態にしても、初めてだし、いろんなこと初めてにしてるし、多分生みの苦しみがあると思う、必ず。 でも、この生みの苦しみをクリアできたら、そのノウハウっていうのは、他にもどんどん使えてくると思います。そういう中で、 管理として、まず高梁川プレゼンターレとしてやってくれる、高梁川プレゼンターレって名前がいいが。しれないたが、流域をやろうとしとるところにプレゼンターレが入ってくれるっていうのも、ものすごいええし。
そこには、坂ノ上さんはじめ、色々な若い人たちもいる。そういう意味では、ものすごい僕は心強い。

あと、出店者で言うと、それぞれ面接をしたんよね。で、面接をして、うちはこういうコンセプトじゃけど、君ら、それでもやる。って聞いて、やりますって言うたやつらなんよね。で、それに向けて、なんとかしてどうすりゃいいかなって、今、みんな考えてくれてる。
そういう思い、そういう風なところを、こうしてくれる、まあ、それぞれのみんなに、僕はすごいありがたいなと思ってるし、俺はもう、今いる出店者はみんな仲間やと思っとるから、みんなで、こう、グーって盛り上げていきたいなっていう風に思っています。

ま、特に篠原くんとこなんかは、唯一飲食店。ま、唯一じゃないけどね。彼も、前向きな思いを持って、吹屋のそういうところを参考にしながらとか言って、高梁川をなんとか表現しようとしてる。 
純米の甘酒のところなんかは、 甘酒自体は、多分、米は大分かなんかの米やと思うけど、でも、それをなんとか高梁川に合わすために、高梁川の食材をそれにもミックスさせてできるものないかとかを考えたりしてる。
あとシックスブラザーズっていう、果物加工してるとこなんかは、流域の果物を使って、なんかやるっていう風な考えもある。
で、倉敷帆布なんかは、倉敷で生まれた帆布のお店で、お店の中で、帆布してもらうとか、そういうワークショップをやってくれと。

あと、石田工務店でも、石田くんは、彼のネットワークを通じて、この暮らしでやってる、色々なものを、みんなに教えたいって。 で、あと、岡山県の地域おこし協力隊ネットワークのフジイくんに関しては、倉敷のお酒を、直で出し、倉敷のつまみを、そこで出してとかっていう、マンスリーのそういう風なので、やっていこうという、みんな、覚悟をしてやってくれてる気がします。
そこが、なんか嬉しくて、なんとかこのログイン倉敷を成功させようっていう思いをみんな持ってくれてる。そういう覚悟を持ってくれてるのがすごい嬉しくて、もうその覚悟と、と、俺もとりあえず君らと共に歩んでいくぜ。みたいな、そんな気持ちでいっぱいです。

坂ノ上さん:
結構注目を集めてると思うんですけども。注目してくれてる人、もしくは、その注目されようとしてる人たち、仲間となってくれたその人たちにメッセージとしては伝えることはありますか

原さん
最終的には、多分、行政の人たちなんか目を向けてもらえたらいいなと思ってるけど、まあ、俺はとりあえず、今、行政の人たちって、皆さん多分、様子を見てると思う。で、そういう人たちがもっと前のめりになってもらえるようにしていきたいし、一応、外国人に特化した場所だっていう風な、大文句でやってるけど、例えば、倉敷の地元の人たちも、来たり、県外の人とこの地元の人の融合ができたり、海外の人と日本の人の融合ができたり、そういう風な、場所に俺はしていきたいので、そういう意味では、海外の人しか来ちゃダメっていうことも思ってないし、どんどん来てくれたらいいし、もしかしたら、 なんかそこで、子供たちが英語の勉強をしたいから、ここ来ましたっていうのもあってもいいし、そういう形で、皆さんに来てもらえるような、そんなことを考えています。

かつ、そこでは、マルシェをやってくれるわけで、マルシェをやる中で、行く頻度も増えてきたりとか、坂ノ上さんが考えてくれてんのは、あそこだけじゃなくて、今、彼が管理してる前の広場、ゆくゆくは、例えば、テラスとかそういうところも含めてのマルシェやっていこうっていう風なことで動いてくださってるので、それもすごい相乗効果として、人が集まるようになってくんじゃないかなと思います。もう外国人だけじゃなく